LAMP IN TERREN - fantasia

LAMP IN TERRENを知ったきっかけは2016年のTOKYO CALLING。

声もリズムも、テレンが創り出す音楽が物凄くタイプで一聴き惚れて。

テレンのCDを発売日に買うのが今回が初めてで思い入れのあるものになった。

 

 

まず今までの曲は暗めの曲が多い印象を受けていた。

ただ暗いだけではなく、

どこかほんのり優しく人間味があり

気付けば目の前が明るくなっていくような

暗くて優しい希望を連れてくるような曲。

 

落ち込んでないで前を向いて歩こうぜ!

っていうような感じではなく

落ち込みたいときは落ち込んでも良いよ

って寄り添ってくれているように感じていた。

 

そんな曲が好きだったし自分の落ち着く形だった。

 

 

でも今回のfantasiaは違った。

ただただ白い。

白くて眩しい。

そんなイメージ。

 

 

音楽を辞めようと思った

曲がかけなかった

などという松本さんの言葉が信じられなかったぐらい。

 

白くて眩しいのだけれども

それは明るいとかではなく。

 

全てをリセットしたけれど

今まで積み上げてきたものもきちんとあって、

白い音楽のうえに様々な人の感情という色が塗り重なっていくのがイメージできたアルバムだった。

色を塗り重ねたら黒くなってしまうけれど

黒くなっても白に戻せてしまうような

全ての感情の温かく包み込むような

不思議なイメージを抱いた。

 

 

だからアルバムを手にして、初めて聴いたときは自然と涙が出ていた。

今まで泣きたくても泣けなかったものが押し寄せてきて溢れてしまっていた。

これは初めての感覚だった。

 

この曲たちに色を塗っていくのは聴いている自分たちなんだと思った。

失礼かもしれないけれど、

おこがましいかもしれないけれど、

まだこの曲たちに未完成な気もした。

これからいろいろな人が聴いて、

同じ曲を聴いていてもそのときに持っている感情や置かれている状況が違えばまた違う聴き方をして、

そうやっていくつもの色を塗り重ねられて

鮮やかで深みのある曲になっていく気がした。

 

 

音楽にはどうしても非現実を求めがちで

現実を忘れたい、夢を見ていたい

そんな気持ちを持って聴くことが多かったけれど

 

決してそれだけではなく、寧ろ

現実の良いところ、

現実にしか出せない味、

今というものを好きにさせてくれる、

そんなことを教えてくれたし思い出させてくれた。

 

きっと自然と涙が出たのは

いつの間にか現実の良いところを置いてきてしまっていたことに気が付けたから。

幼い頃みていた眩しいほどの日常を忘れていたから。

 

勝手に現実という言葉を黒くしていたことに気が付いた。

すごく勿体無いことをしていたと思った。

 

 

自分のみている世界を明るくするも暗くするも

結局は自分次第だったから。

汚れていたものをこのアルバムで全て洗い流せた気がした。

 

 

テレンだから、テレンにしか創れなかった曲。

今のテレンが詰まった曲。

 

 

無駄なんてなくて

だから今日も明日もこの世界をめいいっぱい

この世界に存在できる限り

楽しんで生きていきたい、

この世界に応えていきたい、そう思えた。